独立プロ名画保存会

「独立プロ」映画の監督・スタッフ

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家城巳代治 監督

(1911年9月10日 – 1976年2月22日) 東京都出身。
東京帝国大学を卒業後、1940年に「松竹大船」へ入社。 『激流』(1944年)で初監督。『雲ながるる果てに』『異母兄弟』『ともしび』などを残した。 1950年に松竹を退社し、その後は独立プロ映画で活躍。 社会派監督として活躍する一方、草創期のテレビドラマ演出家としても活躍。

「悲しき口笛(1949年)」「雲ながるる果てに(1953年)」「ともしび(1954年)」「姉妹(1955年)」「異母兄弟(1957年)」「路傍の石(1963年)」

 

新藤兼人 監督

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(1912年4月22日 – 2012年5月29日) 広島県出身。 1934年に映画界に入り、1941年溝口健二監督『元禄忠臣蔵』の美術。1947年 吉村公三郎監督『安城家の舞踏会』でシナリオライター。1951年『愛妻物語』で監督デビュー。1952年近代映画協会にて『原爆の子』。1960年『裸の島』など名作映画を数多くつくった。

 

関川秀雄 監督

(1908年12月1日-1977年12月16日) 潟県出身。 1936年「PCL (後の東宝)」の助監督になる。 1944年記録映画「大いなる翼」で監督デビュー。戦後は「日本戦歿学生の手記 きけ、わだつみの声」(1950)、「混血児」「ひろしま」(1953)などの反戦映画。 「野口英世の少年時代」などの教育映画を監督した。

 

亀井文夫 監督

(1908年4月1日-1987年2月27日) 福島県出身。 1929年ソビエトで見た映画に感動し映画の道を志す。1933年「PCL]に入社。1835年「姿なき姿」で監督デビュー。戦前、映画人の中でただ一人、治安維持法によって検挙・投獄された平和主義者。1947年「戦争と平和」、「女の一生」などが代表作。 社会派の記録映画でも活躍した。

 

伊藤武郎 プロデューサー

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(1910年7月17日 – 2001年11月29日)福井県出身。 日本映画演劇労働組合の初代委員長として、東宝争議を指揮した。 東宝を退社した後は、独立プロ映画の創設に尽力。

「どっこい生きてる」「ひめゆりの塔」「赤い陣羽織」「キクとイサム」「松川事件」「忍びの者」「氷点」「白い巨塔」「あゝ野麦峠」など約50本の映画をプロデュース。常に日本映画の第一線で活躍した。

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